平成22年(2010年)市営地下鉄ブルーラインの全駅に「蒔田城跡」と大きく表示された地下鉄沿線新聞が置かれました。城主は<赤穂浪士>かたき役の先祖とありました!
神奈川新聞
第1 回平成22年(2010年)
8月22日(日)
蒔田の吉良 時代行列
の始まりです。
毎日新聞が大きく取り上げましたが、やはり愛知の吉良上野介が赤馬に乗った蒔田中の生徒が大きく写真に載りました。
タウンニュース
第2回平成24年(2012年)
8月19日(日)
蒔田の吉良時代行列
出演は蒔田中、蒔田小、共進中、日枝小、南太田小の5校の校長先生他、生徒140名でした。横浜蒔田吉野連の阿波踊りを先頭に11基の神輿の前を行列しました。
毎日新聞
第2回平成24年(2012年)
8月19日(日)
蒔田の吉良時代行列
一昨年は吉良上野介と四十七士が目立っていましたが、今年は、140人の生徒たちが、吉良政忠の孫頼康の家臣と北条早雲の孫崎姫の腰元に扮し盛大でした!ちょっと報道が違っていました。
「蒔田町の吉良歴史研究会の発足」が
新聞で大きく取り上げられました。
2012年(平成24年)8月4日
東京新聞
2014年(平成26年)4月10日
神奈川新聞
2014年(平成26年)4月12日
東京新聞
◎時代行列:吉良家、赤穂浪士の仮装140人--横浜・蒔田/神奈川
http://mainichi.jp/feature/news/20120820ddlk14040084000c.html
蒔田町が「蒔田町に吉良家があったこと」をアピールするイベントのひとつ、「蒔田の吉良の時代行列」が2012年08月19日に行われたと掲載。
時代行列:吉良家、赤穂浪士の仮装140人--横浜・蒔田 /神奈川
※以下、毎日新聞 2012年08月20日 地方版から抜粋
「忠臣蔵」で知られる江戸時代の大名、吉良上野介の分家が領地を持っていた横浜市南区蒔田(まいた)町で19日、「蒔田の吉良の時代行列」が行われた。蒔田連合町内会夏祭りの一環で、地元町内会の神輿(みこし)11基に先立ち、近隣小中学校の校長や生徒ら約140人が吉良家や赤穂浪士の姿で街を練り歩いた。
足利将軍家に連なる吉良家は室町時代に分家。上野介の流れは赤穂浪士の討ち入り(1703年)をきっかけにお家断絶となったが、15世紀に世田谷城主(東京都世田谷区)となった吉良政忠は蒔田町まで勢力を誇り、江戸時代には蒔田氏を名乗っていた。同町内の勝国寺は吉良家の菩提(ぼだい)寺になっている。
地元の歴史を知ってもらおうと行列は10年から始まり、今年で2回目。企画した「旅館松島」(蒔田町)のおかみ、島田紀子さんは「蒔田に吉良家がいたことをたくさんの人に知ってほしい」と話した。【高橋直純】
◎「蒔田の吉良歴史研究会」立ち上げ:南区タウンニュース
当研究会の立ち上げについて、取り上げられました。
http://www.townnews.co.jp/0114/2013/10/03/206254.html
「蒔田の吉良」歴史探る。地元住民らが研究会発足
掲載号:2013年10月 3日号から抜粋
忠臣蔵」で赤穂浪士に討たれた吉良上野介が蒔田にゆかりがあったことから、地元住民らが「蒔田の吉良歴史研究会」を立ち上げた。
室町時代に分家したとされる吉良家。愛知県の本家は討ち入りをきっかけにお家断絶となったが、分家はその後も続いた。室町時代に世田谷から蒔田に移り住み、そこが蒔田城(現在の横浜英和女学院)となった。そばの勝国寺には、今も供養塔が残る。
吉良の歴史を知ってもらおうと、2010年、12年には蒔田連合町内会が吉良や赤穂浪士の格好をした子どもに地区内を練り歩いてもらう祭りを行った。
この祭りで中心的な役割を果たした「旅館松島」の女将、島田紀子さんが「蒔田や関東に残る吉良の歴史をもっと探りたい」と研究会の設立を決めた。
島田さんによると、吉良邸があった世田谷城の城跡保存を目的にした市民団体があり、歴史研究を行っている。同研究会は、こうした団体と交流しながら、まだ知られていない蒔田の吉良の歴史を調べていく。
最初の活動として、10月21日には世田谷のメンバーとともに愛知県を訪ね、吉良家代々の菩提寺などを見学する1泊2日の旅行を計画。参加費は2万5千円。
旅行、研究会への問い合わせは旅館松島【電話】045・731・2720